代表選考と人事考課
2010-05-11(Tue)
“サッカー通”キムタク、カズ落選「ビックリ」
2010/05/11 スポニチアネックス
プロスポーツのように、実力主義が明確な世界における代表選考でさえ、人の評価は難しく、見る人によって評価が大きく異なります。ここには、組織における人事評価の難しさに共通したものを感じます。
スポーツの場合、勝つための戦術には、監督が全責任を負いますから、監督が選手を選ぶことに全権を持つことは当然です。サッカーのようなオフサイド以外は特に複雑なルールもないシンプルな団体競技で、監督が戦略を明確に示し、なおかつ選考までの間には予選やJリーグなどでの実践における実績を白日の下につぶさに観察した上でも人の評価は異なります。
それが仕事であれ、スポーツであれ、こと人というのは複雑怪奇なものです。人の言動を、まるで物理学や数学のように、論理や合理で説明できるものではありません。「評価の納得度を高める」ためには考課者研修が重要だ、というようなことをおっしゃるコンサルタントの方々がいらっしゃいます。私は、このような発言を耳にすると、「これは研修の売り込みだな」と思います。
こうしたコンサルの発言について私が言いたいことも、真意を測ることのできない人間らしさに帰することなのですが、結局、こういう話には、人事評価の客観性に、まるで絶対的な指標があるかのような神話を聞かされているような「感じ」がするのです。
サッカーの場合、我々の個々の選手やチーム、戦術などに対する熱い思いが、選手の選考に一喜一憂したり、選考結果の論評をする要因となっているのでしょう。代表選考において、選手の評価基準を作り、その基準に基づき選手を評価して選考する人も監督というただ一人の人間であり、指標を合わせる研修などというものは元より必要ありません。
私もサッカーに人一倍熱い人間として、こうしたサッカー代表選考に常に納得しているわけではありません。
思えば、1994年アメリカ・ワールドカップでは、イングランドは予選落ちしました。イングランドは、ヨーロッパ予選は、オランダ、ノルウェー、ポーランド、トルコ、サンマリノと同じ組で、当然、オランダとともに予選を通過するものと思われていました。しかし、1993年4月、ホーム・ウェンブリーで行われたオランダとの試合では、プラットとバーンズのフリーキックで2点を先制したものの、デニス・ベルカンプの1点から2-1のまま時間は経過します。しかし、試合終了の数分前に、デス・ウォーカーがペナルティエリア内で痛恨のファールを犯し、ペナルティキックで同点とされてしまいました。
少し長くなりました。この時のイングランド監督はグレアム・テイラーというイングランド人です。私は、この監督が、当時、私の大好きな選手クリス・ワドルを代表に選考しなかったことが、まったく理解できません。なぜなら、当時のワドルは、年齢的には30歳を超えていましたが、ベストフォームを維持していたことは、当時のリーグ戦やFAカップでの活躍が証明していました。また、ワドルは国際経験も豊かであり、スパーズからマルセイユへ移籍したときに発生した移籍金も、当時、マラドーナやフリットに次いで、世界で3番目の高額を叩き出したという能力の持ち主です。戦術的にも柔軟で、複数のポジションを高いレベルでこなすことができる希有のプレイヤーでした。もう一言言わせてもらうと、フランコ・バレージをセンターバックとする黄金時代のACミランのフラット4をドリブル突破できたのは、多分このワドルと、後はガスコインだけです。
私は、1994年にはシェフィールド、97年にはバーンリーで、彼の試合を観るために渡英しています。97年の渡英前には、本人の直筆でサインがされた手紙をもらいました。
いずれにせよ、サッカーを愛する熱い人たちは、人を評価することの難しさを理解できる人たちではないか、ということです。
2010/05/11 スポニチアネックス
岡田ジャパン23選手が発表された10日、サッカー好きで知られる「SMAP」の木村拓哉(37)が報道陣に対応し、カズこと三浦知良(43)の代表漏れを嘆いた。「落ちてビックリ。ユニホーム姿のカズさんがいるだけでチームに元気が出たはず。現実的な選抜になった」と感想。一方で「若い人を試してほしかった」と指摘した。
プロスポーツのように、実力主義が明確な世界における代表選考でさえ、人の評価は難しく、見る人によって評価が大きく異なります。ここには、組織における人事評価の難しさに共通したものを感じます。
スポーツの場合、勝つための戦術には、監督が全責任を負いますから、監督が選手を選ぶことに全権を持つことは当然です。サッカーのようなオフサイド以外は特に複雑なルールもないシンプルな団体競技で、監督が戦略を明確に示し、なおかつ選考までの間には予選やJリーグなどでの実践における実績を白日の下につぶさに観察した上でも人の評価は異なります。
それが仕事であれ、スポーツであれ、こと人というのは複雑怪奇なものです。人の言動を、まるで物理学や数学のように、論理や合理で説明できるものではありません。「評価の納得度を高める」ためには考課者研修が重要だ、というようなことをおっしゃるコンサルタントの方々がいらっしゃいます。私は、このような発言を耳にすると、「これは研修の売り込みだな」と思います。
こうしたコンサルの発言について私が言いたいことも、真意を測ることのできない人間らしさに帰することなのですが、結局、こういう話には、人事評価の客観性に、まるで絶対的な指標があるかのような神話を聞かされているような「感じ」がするのです。
サッカーの場合、我々の個々の選手やチーム、戦術などに対する熱い思いが、選手の選考に一喜一憂したり、選考結果の論評をする要因となっているのでしょう。代表選考において、選手の評価基準を作り、その基準に基づき選手を評価して選考する人も監督というただ一人の人間であり、指標を合わせる研修などというものは元より必要ありません。
私もサッカーに人一倍熱い人間として、こうしたサッカー代表選考に常に納得しているわけではありません。
思えば、1994年アメリカ・ワールドカップでは、イングランドは予選落ちしました。イングランドは、ヨーロッパ予選は、オランダ、ノルウェー、ポーランド、トルコ、サンマリノと同じ組で、当然、オランダとともに予選を通過するものと思われていました。しかし、1993年4月、ホーム・ウェンブリーで行われたオランダとの試合では、プラットとバーンズのフリーキックで2点を先制したものの、デニス・ベルカンプの1点から2-1のまま時間は経過します。しかし、試合終了の数分前に、デス・ウォーカーがペナルティエリア内で痛恨のファールを犯し、ペナルティキックで同点とされてしまいました。
少し長くなりました。この時のイングランド監督はグレアム・テイラーというイングランド人です。私は、この監督が、当時、私の大好きな選手クリス・ワドルを代表に選考しなかったことが、まったく理解できません。なぜなら、当時のワドルは、年齢的には30歳を超えていましたが、ベストフォームを維持していたことは、当時のリーグ戦やFAカップでの活躍が証明していました。また、ワドルは国際経験も豊かであり、スパーズからマルセイユへ移籍したときに発生した移籍金も、当時、マラドーナやフリットに次いで、世界で3番目の高額を叩き出したという能力の持ち主です。戦術的にも柔軟で、複数のポジションを高いレベルでこなすことができる希有のプレイヤーでした。もう一言言わせてもらうと、フランコ・バレージをセンターバックとする黄金時代のACミランのフラット4をドリブル突破できたのは、多分このワドルと、後はガスコインだけです。
私は、1994年にはシェフィールド、97年にはバーンリーで、彼の試合を観るために渡英しています。97年の渡英前には、本人の直筆でサインがされた手紙をもらいました。
いずれにせよ、サッカーを愛する熱い人たちは、人を評価することの難しさを理解できる人たちではないか、ということです。
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