分別と多感
2010-06-18(Fri)
能力考課の考課項目は、通常「規律性」「協調性」「責任感」などといった一般化された抽象的なものです。こうした抽象的な項目をもって部下指導をしたり、人事評価を行う際、用語の選択や表現の仕方によって、非常にデリケートな問題になりますから、管理者は注意が必要です。
たとえば、「協調性がない」と管理者が部下に言ったとすると、これは問題です。「ない」と言うということは、その部下は協調性をまったく持ち合わせていない、という意味です。また、協調性に「問題がある」と言うのも好ましい表現とはいえません。どのような「表現の仕方」で部下に指導すべき内容を伝えるかは、自分が相手の立場になって考えてみれば分かりやすいと思います。
人間の営みは複雑怪奇です。たとえば「協調性」という抽象的な言葉で表すことには、これまでのさまざまな行動特性から管理者の頭の中でたまたま「協調性」という言葉で一般化された概念に過ぎません。相手に理解してもらうには、その基礎になった相手の行動特性を個々に指摘しながら指導しなければいけません。いくつかの行動が完了してしまってから、結果として一般化した言葉で指導されても相手は理解できないと考えるべきです。
たとえば、「協調性」の場合、次のような着眼点から相手の具体的な言動を評価しなければいけません。
管理者としては、こうした着眼点を一つでも多く持ち、評価(指導)のキッカケを多く持てるように、管理者としての能力を高めなければいけません。部下の言動のすべてを何らかの評価項目で評価できるのが理想です。もちろん、そんなことは不可能ですが。
部下指導に熱心な管理者ほど声を荒げたりとか、多感で自分の常識に自信のある上司ほど分別のない表現の仕方で部下指導をしてしまうようです。これはいかがなものかと思います。管理職には、部下指導について「自分のやり方」があろうかと思います。しかし、いくら管理職が部下指導に熱心であっても、相手に伝わらなければ意味がありません。怒鳴らなくても、言い方しだいでは、部下に対する侮辱となり、パワハラにもなりかねません。
これは、管理者のかたの中には、長年管理者でいることにより「部下は上司の言うことを聞くもの」という先入観に染まっているかたがいることも考えられます。例えば、役所の場合、管理部門に長くなると、その職員は現場を知らない頭デッカチと思われるようになります。また、現場に長くなると、組織管理を覚えず何かと効率の悪い職員になります。管理職の人は、それなりの年数を管理者として経験を重ねることにより、部下指導や人材育成が、上司から部下への一方的な職務命令のように捉えているかたもいらっしゃるようです。「職員として成長せよ」とか「能力開発をせよ」と命じて、部下がそれらの指示を実現できるほど簡単なことであれば、管理者は誰がやっても良いどころか、その存在さえ必要のないものになってしまうのではないでしょうか。
管理者の役割は、人間という複雑怪奇な生き物を取り扱う難易度の高いものだと私は思います。
たとえば、「協調性がない」と管理者が部下に言ったとすると、これは問題です。「ない」と言うということは、その部下は協調性をまったく持ち合わせていない、という意味です。また、協調性に「問題がある」と言うのも好ましい表現とはいえません。どのような「表現の仕方」で部下に指導すべき内容を伝えるかは、自分が相手の立場になって考えてみれば分かりやすいと思います。
人間の営みは複雑怪奇です。たとえば「協調性」という抽象的な言葉で表すことには、これまでのさまざまな行動特性から管理者の頭の中でたまたま「協調性」という言葉で一般化された概念に過ぎません。相手に理解してもらうには、その基礎になった相手の行動特性を個々に指摘しながら指導しなければいけません。いくつかの行動が完了してしまってから、結果として一般化した言葉で指導されても相手は理解できないと考えるべきです。
たとえば、「協調性」の場合、次のような着眼点から相手の具体的な言動を評価しなければいけません。
1 誰かが忙しそうにしているときに、その人の仕事を自発的に手伝ったか。
2 和を図るような言動があったか。
3 人間関係に悪い影響を与えるような言動はなかったか。
2 和を図るような言動があったか。
3 人間関係に悪い影響を与えるような言動はなかったか。
管理者としては、こうした着眼点を一つでも多く持ち、評価(指導)のキッカケを多く持てるように、管理者としての能力を高めなければいけません。部下の言動のすべてを何らかの評価項目で評価できるのが理想です。もちろん、そんなことは不可能ですが。
部下指導に熱心な管理者ほど声を荒げたりとか、多感で自分の常識に自信のある上司ほど分別のない表現の仕方で部下指導をしてしまうようです。これはいかがなものかと思います。管理職には、部下指導について「自分のやり方」があろうかと思います。しかし、いくら管理職が部下指導に熱心であっても、相手に伝わらなければ意味がありません。怒鳴らなくても、言い方しだいでは、部下に対する侮辱となり、パワハラにもなりかねません。
これは、管理者のかたの中には、長年管理者でいることにより「部下は上司の言うことを聞くもの」という先入観に染まっているかたがいることも考えられます。例えば、役所の場合、管理部門に長くなると、その職員は現場を知らない頭デッカチと思われるようになります。また、現場に長くなると、組織管理を覚えず何かと効率の悪い職員になります。管理職の人は、それなりの年数を管理者として経験を重ねることにより、部下指導や人材育成が、上司から部下への一方的な職務命令のように捉えているかたもいらっしゃるようです。「職員として成長せよ」とか「能力開発をせよ」と命じて、部下がそれらの指示を実現できるほど簡単なことであれば、管理者は誰がやっても良いどころか、その存在さえ必要のないものになってしまうのではないでしょうか。
管理者の役割は、人間という複雑怪奇な生き物を取り扱う難易度の高いものだと私は思います。
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