
写真の
アンブロ(
UMBRO)のコートは、1994年に買いました。当時のイングランド代表でも採用されていたデザインで、日本では手に入らず、どうしても欲しかった私はイングランドにいる義理の母に頼んで現地で購入して日本へ送ってもらいました。
当時、アンブロのスポーツウェアは、他のブランドとは違い、扱っている店舗も多くはなく、扱っていても品揃えが乏しかったものです。しかし、今ではたくさんの店で、他のブランドとは一味違うアンブロらしい個性的なデザインのウェアが私の目を楽しませてくれています。
私は、このコートがとても気に入っていて手放すことができず、94年の冬からこの冬まで15シーズン着ています。しかし、とうとうこのコートを現役から引退させることにしました。というのも、冬だけとはいえ、15年間着続け、コートの襟が傷んできて、このままでは着れなくなってしまうからです。着れない状態になる前に着るのをやめ、この状態でこれからずっと保管しておきたいと思うのです。これまで15年間、冬になると私はこのコートを着ていました。妻には「そろそろ他のコートでも買って着てくれない?」と毎年のように頼まれましたが、10年くらい前から諦めてそれも言わないようになりました。私はアンブロのユニークなデザインが大好きで、市役所のサッカー部で練習をするときでも、「曽野田はアンブロしか着ない」ということで有名でした。
ブランドはアンブロではありませんが、同じ94年に手に入れた
Sheffield Wednesday FCのホーム・ジャージも未だ持っています。このジャージは、妻の友人の
Sueからプレゼントされものです。私は、その冬このジャージを持って渡英して、サッカー史上「
ヒルズボロの悲劇」で有名な
シェフィールド・ウェンズディFC(Sheffield Wednesday FC)のホーム「
Hillsborough」のオフィシャルショップへ行きました。当時、私の大好きな選手
クリス・ワドル(Chris Waddle)が、このチームで活躍していたからです。ショップでは、このジャージに彼の背番号「
8」とネームの「
Waddle」をプリントしてもらいました。このジャージは、我慢にガマンを重ねて、あまり着ずに保管してありますが、妻は私に「このジャージ、そろそろ捨てて」と言います。宝物を捨てる男はいません。なぜこのような絶対にできないことを人に提案するのか、私は女性という生き物が理解できません。
アンブロの日本での商標権は98年から
デサントが取得しています。思えば、デサントの前社長・
田尻邦夫氏とお知り合いになれたのも不思議な縁です。田尻氏は、アディダスとの契約破棄(98年)で大幅減収・赤字に転落したデサントの経営危機を立て直した経営者として有名な方で、現在はNPO法人「
新社会人養成塾BOOSTER」の代表などをされています。
(参考)
ヒルズボロの悲劇を受けた
イングランド・フットボール協会(FA)の
スタジアム政策については、旧ブログのエントリー「
Soccerette Billie」又は「
公の施設の活用方法」、あるいは私のエッセイ「
アングロサクソンと歴史」(「浜松市学生寮25周年記念誌」に寄稿)をご覧ください。