2009-09-16(Wed)
庁内分権は、組織設計の面において、意思決定の速さとその質の高さを求めたものだといえます。
しかし、経営学の歴史を読んでいると、役所で言われている庁内分権は、非常に古い問題の延長ではないか、と思うことがあります。つまり、役所では、一般的に管理部門と事業部門が分離して、時として対立関係にあります。このような関係は古くは、フレデリック・テイラーの科学的管理法が招いた弊害だとして批判がされました。テイラーの理論は20世紀初頭の話です。それがまだ役所組織では解決されていない、というのは不思議な話です。
さて、管理部門と事業部門の分離により、意思決定を管理部門が行うことの弊害が指摘されます。具体的には、先に挙げた「意思決定の速さとその質の高さ」の逆で「意思決定の遅さとその質の低さ」です。庁内分権が言われるとき、こうした合理的な理由のほか、事業部門の職員のモチベーションの低下にも配慮されているのではないか、という感触があります。
確かに、働く職員は機械ではなく、血の通った人間です。効率ばかりを考えても納得のいかないこともあるものです。牧瀬稔氏の指摘「分権の前に集権」は、このようなヒューマニズムで組織設計をすると失敗する、ということではないかと考えています。その組織に見合った人材が育成されていないと、理想の組織をデザインしても機能しない。組織設計の理想形はさまざまであり、構成員である職員の資質も組織デザインをする際に配慮すべき要素である、ということです。他の組織のベストプラクティスの真似は競争優位を与えないために採られる戦術ですが、同一の施策が他の組織で同じ効果を生むとは限りません。(コンティンジェンシー理論)牧瀬氏の見解は、組織設計を人事の面から見ると、分権化を行う場合には、権限を行使する人材が下位の職員層にいるのかということと、その職員が権限に伴う責任を負う用意があるかという見極めが重要だということです。
今後、職員の高齢化が進む結果、勤務年数が長く、経験豊富な職員層が増えることになります。そうした職員層が厚く構成される場合には、管理者の負担は減ると仮定すれば、フラットな組織は、将来的に有用な組織デザインである可能性があります。ピラミッド型で上意下達式の組織でポストに就けないよりも、ベテラン職員にとってフラット組織での分権は、モチベーションの維持がしやすいといえるかもしれません。
思えば、学生時代、クラブでいろいろな活動に取り組み、また学生寮で共同生活を送る上では、分業と調整というルールがありました。そのルールは、問題が起こったり、誰かの発想があったことをキッカケにみんなで話し合い、時にはチョットずつ、時には抜本的に修正を加えたものでした。学生時代の生活は、イベントがあるたびに話し合いを行い、目標やルールを決め、そして、そのルールの修正を行う繰り返しでした。このような話し合いをするときは、責任追求よりも原因追求にみんなのベクトルが向いていたのを思い出します。あの時代、みんなのベクトルを一定方向に向けさせた力は一体なんだったのでしょうか。
(参考)
野中郁次郎「私と経営学-コンティンジェンシー理論」(PDF)
しかし、経営学の歴史を読んでいると、役所で言われている庁内分権は、非常に古い問題の延長ではないか、と思うことがあります。つまり、役所では、一般的に管理部門と事業部門が分離して、時として対立関係にあります。このような関係は古くは、フレデリック・テイラーの科学的管理法が招いた弊害だとして批判がされました。テイラーの理論は20世紀初頭の話です。それがまだ役所組織では解決されていない、というのは不思議な話です。
さて、管理部門と事業部門の分離により、意思決定を管理部門が行うことの弊害が指摘されます。具体的には、先に挙げた「意思決定の速さとその質の高さ」の逆で「意思決定の遅さとその質の低さ」です。庁内分権が言われるとき、こうした合理的な理由のほか、事業部門の職員のモチベーションの低下にも配慮されているのではないか、という感触があります。
確かに、働く職員は機械ではなく、血の通った人間です。効率ばかりを考えても納得のいかないこともあるものです。牧瀬稔氏の指摘「分権の前に集権」は、このようなヒューマニズムで組織設計をすると失敗する、ということではないかと考えています。その組織に見合った人材が育成されていないと、理想の組織をデザインしても機能しない。組織設計の理想形はさまざまであり、構成員である職員の資質も組織デザインをする際に配慮すべき要素である、ということです。他の組織のベストプラクティスの真似は競争優位を与えないために採られる戦術ですが、同一の施策が他の組織で同じ効果を生むとは限りません。(コンティンジェンシー理論)牧瀬氏の見解は、組織設計を人事の面から見ると、分権化を行う場合には、権限を行使する人材が下位の職員層にいるのかということと、その職員が権限に伴う責任を負う用意があるかという見極めが重要だということです。
今後、職員の高齢化が進む結果、勤務年数が長く、経験豊富な職員層が増えることになります。そうした職員層が厚く構成される場合には、管理者の負担は減ると仮定すれば、フラットな組織は、将来的に有用な組織デザインである可能性があります。ピラミッド型で上意下達式の組織でポストに就けないよりも、ベテラン職員にとってフラット組織での分権は、モチベーションの維持がしやすいといえるかもしれません。
思えば、学生時代、クラブでいろいろな活動に取り組み、また学生寮で共同生活を送る上では、分業と調整というルールがありました。そのルールは、問題が起こったり、誰かの発想があったことをキッカケにみんなで話し合い、時にはチョットずつ、時には抜本的に修正を加えたものでした。学生時代の生活は、イベントがあるたびに話し合いを行い、目標やルールを決め、そして、そのルールの修正を行う繰り返しでした。このような話し合いをするときは、責任追求よりも原因追求にみんなのベクトルが向いていたのを思い出します。あの時代、みんなのベクトルを一定方向に向けさせた力は一体なんだったのでしょうか。
(参考)
野中郁次郎「私と経営学-コンティンジェンシー理論」(PDF)
スポンサーサイト