2010-02-01(Mon)

写真は「Plumerian cafe -365photo-」から
「乱舞~RANBU~に出演します」 by nanami
いつも写真を引用させて頂いているnanamiさんがイベントに出られるので、ここに宣伝させていただきます。
事務次官存続、降格は可能に=公務員制度改革法案骨子-首相提示
鳩山由紀夫首相は29日午前の閣僚懇談会で、今国会に提出する国家公務員制度改革関連法案の骨子を示した。新設する「内閣人事局」で各府省の幹部人事を一元管理し、事務次官級から局長級への降格を可能にすることが柱。
役人の世界では「降格」に対してマイナスイメージが強すぎるのではないでしょうか。昇格が唯一の自己実現の手段であるというシンプルなキャリア観の弊害ともいえます。弊害とは柔軟な人事ができない、言い換えれば、人事が硬直しているということです。硬直した人事がなぜいけないか、というと、硬直した人事では変化に対して柔軟に対応できないからです。
人間社会のことに人間組織が対応するわけですから、物事の判断がウェットになるのはつきものです。しかし、プロフェッショナルとはそうしたウェットな感情を排除するところから始まります。人事は組織目標の達成のため冷徹に考えます。プロに徹した人間を相手にしても、人事をやるのも人間です。人事が相手にするのも人間です。ここに難しさがありますが、自分の考えに疑問を生じたときには、「好き嫌い」で判断しているか、と自問してみるよりも、「目的は何か」という原点に立ち戻って考えてみることが有用です。これは、以前の上司である人事担当課長から教わりました。
公務員の降格は、もっと柔軟にできるようにすべきであると私は考えています。昇格には必要な在級年数など形式的かつ客観的な基準が設けられていますが、降格にはこれがありません。公務員の世界では、職員の意に反する降格は「皆無」であると言っても良い程珍しいものです。昇格させてみたが、期待に反して管理職としての適性に欠け適任ではなかったという場合ばかりではなく、本人が降格を望んでも世間体として降格を申し出ることができない場合もあります。働く人の側からも降格が必要なときはあるということです。
私は、採用時のように、昇任はすべて条件付にしたら良いと考えています。また、降格しても敗者復活戦を保障します。希望降格制度も必要でしょう。こうした人事上の施策を任命権者の恣意で行うのではなく、明文化された制度として実施することが、働く人の能力を最大限活用するために必要です。「民間企業には希望降格制度はない」という人もいます。また「民間で昇格後の職責が務まらなければクビだ」という人もいます。「だから公務員は甘い」という人もいますが、降格の必要性は、当該職員の不適格性ばかりにあるのではありません。家庭の事情等もあるわけです。そうした事情にまったく配慮しない人事や、社員を簡単にクビにできるような雇用関係は不健全であり、そのような解雇は「民間は厳しい」というような話ではなく、ただの「解雇権濫用」といえるのではないでしょうか。
別の視点から「降格」を考えてみます。
以前、「昇格選考のフィルター」で考察したように、昇格者を決めるに当たっては、複数の仮説を立て、その仮説に照らして考えてみて、最も確からしい候補者を昇格者として選択します。「最も確からしい」人を選ぶのであって、絶対に正解であるということは言えません。最も確からしいと判断しても、そうではない場合もありえます。また、適材適所という意味では、昇格に値する適材であったとしても、配置の結果として適所ではなく、昇格後の職を期待どおりには担えないという場合もあります。この場合は、降格させなくても配置換えで対応できますが、前者の場合には降格が必要です。地方公務員法によるところの分限処分としての降格です。
最も確からしい人物を昇格させて、それが正解ではない場合、一番の問題は、効率的な行政運営の妨げになる、ということです。「昇格選考のフィルター」により検証した人物が、分限による降格を要する場合はありえますが、実際には皆無です。事務次官級となれば、配置換えできるポストも限られているでしょう。それにしても、事務次官級を降格させる場合とは、どのようなケースを想定しているのでしょうか。
(参考)
岩出誠「どんな場合に従業員を降格することができるのですか?」
J-Cast News「官庁だけにある希望「降格」制度」(2008/7/2)
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