2010-05-28(Fri)
2010-05-27(Thu)
青学会館でセミナーを受けていた今日、何年かぶりにプラハにいるHilaryから私にメールがありました。Hilaryは妻の友人です。
メールは、二人の共通の友人であるRuthのご主人の訃報でした。私は、Ruthとは91年の結婚式で初めて会いました。その後、私がイングランドへ行ったときに、大きな赤ちゃんを連れて、妻の実家に遊びに来てくれたことがありました。
結婚や出産など、通過儀礼には、うれしいものもありますが、年を重ねるにつれ、辛い儀礼に遭遇するようになります。Ruthのご主人は、メンタル疾患を患っていたそうです。とても心が痛みます。今日は東京にいるのが、非常に辛い一日でした。
メールは、二人の共通の友人であるRuthのご主人の訃報でした。私は、Ruthとは91年の結婚式で初めて会いました。その後、私がイングランドへ行ったときに、大きな赤ちゃんを連れて、妻の実家に遊びに来てくれたことがありました。
結婚や出産など、通過儀礼には、うれしいものもありますが、年を重ねるにつれ、辛い儀礼に遭遇するようになります。Ruthのご主人は、メンタル疾患を患っていたそうです。とても心が痛みます。今日は東京にいるのが、非常に辛い一日でした。
2010-05-27(Thu)
今日は、朝5時に起きて東京へ行き、労務行政研究所の「重要労働判例と実務への影響」というセミナーを受講してきました。講師は弁護士の丸尾拓養氏です。
丸尾先生の考え方は、使用者側の弁護士の見解として、非常に参考になりました。80人くらいいた参加者は、民間企業から多くいらしているようでした。休憩時間に回りの参加者間でされている会話は、公務ではあまり経験することのない分野のこともありました。また、逆に、公務員には馴染み深い「年次有給休暇の時間単位での取得」について議論をしている人たちもいました。
人事担当課へ配属されてから、労働関係法令と判例、裁判例をよく読むようになったのですが、特に、判例は読んでいておもしろいものです。今日は、自分の不勉強を痛感した一日でした。これを機会にもっとたくさんの労働分野とそれに係る判例を勉強していこうと思います。
そういえば、セミナーの会場は、表参道の青学会館でした。渋谷駅から歩きましたが、渋谷や青山を訪れるのは何年ぶりだったでしょうか。迷子になり、渋谷消防署で道を尋ねました。この消防署の前は「ファイアー通り」と呼ばれているようです。
丸尾先生の考え方は、使用者側の弁護士の見解として、非常に参考になりました。80人くらいいた参加者は、民間企業から多くいらしているようでした。休憩時間に回りの参加者間でされている会話は、公務ではあまり経験することのない分野のこともありました。また、逆に、公務員には馴染み深い「年次有給休暇の時間単位での取得」について議論をしている人たちもいました。
人事担当課へ配属されてから、労働関係法令と判例、裁判例をよく読むようになったのですが、特に、判例は読んでいておもしろいものです。今日は、自分の不勉強を痛感した一日でした。これを機会にもっとたくさんの労働分野とそれに係る判例を勉強していこうと思います。
そういえば、セミナーの会場は、表参道の青学会館でした。渋谷駅から歩きましたが、渋谷や青山を訪れるのは何年ぶりだったでしょうか。迷子になり、渋谷消防署で道を尋ねました。この消防署の前は「ファイアー通り」と呼ばれているようです。
2010-05-17(Mon)
教諭昇給先延ばし「根拠不十分」取り消し命令 東京地裁
asahi.com 2010/05/13
経営不振を理由した昇給停止を違法とした例があります。しかし、これは、結局、経営不振とは認められなかったという内容です。
「昇給停止は不相当」会社に750万支払い命令 地裁
千葉日報 2010/03/20
asahi.com 2010/05/13
東京都世田谷区立小学校の男性教諭(57)が、人事考課の結果を理由に定期昇給を先延ばしされたのは不当だと訴えた訴訟で、東京地裁(青野洋士裁判長)は13日、不服審査を担当した都人事委員会の判定を取り消し、慰謝料など計約14万円の支払いを都と区に命じた。
原告の代理人弁護士によると、教諭の業績評価をめぐる訴訟で行政側が敗訴したのは珍しいという。
判決によると、この教諭は区立小の併設施設として神奈川県三浦市に設置された「健康学園」(現在は閉園)の教諭だった2004年度に、5段階(Sを最高にA~D)で下位から2番目の「C評価」を受け、当時の人事考課制度に従って定期昇給が3カ月先延ばしされた。05年8月に先延ばしの取り消しを求めたが、都人事委員会は08年3月に退ける判定をしたため、その取り消しを求めて提訴していた。
判決は、評価する立場にいた施設の副園長の男性が、実際はこの教諭の授業を2回しか見ていなかったのに多く見たように記載するなど、事実に基づかずに評価したと指摘。「公正に評価すべき義務に違反している」と認めた。
さらに、都人事委員会の判定についても、教諭が求めた聞き取り調査(審問)を実施しないなど、判断の前提となる事実の把握が不十分で、違法だと結論づけた。
判決後に会見した教諭の代理人弁護士によると、教諭と副園長は人間関係が良くない時期があったという。
判決をよく読んでみたいです。原告の代理人弁護士によると、教諭の業績評価をめぐる訴訟で行政側が敗訴したのは珍しいという。
判決によると、この教諭は区立小の併設施設として神奈川県三浦市に設置された「健康学園」(現在は閉園)の教諭だった2004年度に、5段階(Sを最高にA~D)で下位から2番目の「C評価」を受け、当時の人事考課制度に従って定期昇給が3カ月先延ばしされた。05年8月に先延ばしの取り消しを求めたが、都人事委員会は08年3月に退ける判定をしたため、その取り消しを求めて提訴していた。
判決は、評価する立場にいた施設の副園長の男性が、実際はこの教諭の授業を2回しか見ていなかったのに多く見たように記載するなど、事実に基づかずに評価したと指摘。「公正に評価すべき義務に違反している」と認めた。
さらに、都人事委員会の判定についても、教諭が求めた聞き取り調査(審問)を実施しないなど、判断の前提となる事実の把握が不十分で、違法だと結論づけた。
判決後に会見した教諭の代理人弁護士によると、教諭と副園長は人間関係が良くない時期があったという。
経営不振を理由した昇給停止を違法とした例があります。しかし、これは、結局、経営不振とは認められなかったという内容です。
「昇給停止は不相当」会社に750万支払い命令 地裁
千葉日報 2010/03/20
「赤字」を理由に定期昇給と一時金の支払いなどをしなかったとして、産業機械製造会社「三和機材」(東京都中央区、栗田五郎社長)の千葉工場などの従業員9人らが、同社を相手取り、昇給分の賃金と一時金など計約6600万円の支払いを求めた訴訟の判決が19日、千葉地裁であった。菅原崇裁判長は「昇給を停止したことは相当でない」として、昇給分の賃金など計約750万円の支払いなどを同社に命じた。一時金の支払いについては退けた。
判決で菅原裁判長は「昇給停止は被告(三和機材)の裁量によるものでなく、従業員が被る不利益の程度、労組との交渉経過を考慮して決めるのが相当」などと指摘。同社の資金内容について、「極めて優良。定期昇給による支出も多額にならないと推認される」と述べた。同社の元社長が約28億円の会社資金を持ち出していたことも認定した。
判決で菅原裁判長は「昇給停止は被告(三和機材)の裁量によるものでなく、従業員が被る不利益の程度、労組との交渉経過を考慮して決めるのが相当」などと指摘。同社の資金内容について、「極めて優良。定期昇給による支出も多額にならないと推認される」と述べた。同社の元社長が約28億円の会社資金を持ち出していたことも認定した。
2010-05-12(Wed)
消防大学校長の岡本全勝氏が、ハイゼンベルクの『部分と全体』を読まれて次のように述べられています。
部分と全体の問題は、私も以前「庁内分権と組織設計」と「その2」で考えたことがありました。その中で私は、次のように考えました。
私は公務員というのは、その司司の役割に忠実な人間が多いから、その役割に対する熱い思いが要因で、組織内の摩擦を生じるのだと思っています。現場の職員であれ、管理部門の職員であれ、職員同士は住民福祉の向上という組織の目的を共有しているわけです。また、それが管理の立場であれ、現場の立場であれ、時としてその目的から離れたところから「住民の声」という言葉を使って為される公務員の怠慢は自戒しなければならないものだと考えています。
私の関心にあっては、部分と全体は、国家統治機構の部分と全体であり、行政組織の部分と全体の在り方です。国と地方の関係にあっては中央集権と地方分権であり、組織管理にあっては集中と分散です。このテーマは、私にとって一生の課題ですが、すべての組織にとって永遠の課題でしょう。(2010年5月9日)
組織論において、全体と部分は、管理と自由、統制と競争、規律と闘争、秩序と混乱、維持と発展、という対比につながります。(2010年5月10日)
(引用:「岡本全勝のページ」から)(抄)
組織論において、全体と部分は、管理と自由、統制と競争、規律と闘争、秩序と混乱、維持と発展、という対比につながります。(2010年5月10日)
(引用:「岡本全勝のページ」から)(抄)
部分と全体の問題は、私も以前「庁内分権と組織設計」と「その2」で考えたことがありました。その中で私は、次のように考えました。
このような関係は古くは、フレデリック・テイラーの科学的管理法が招いた弊害だとして批判がされました。テイラーの理論は20世紀初頭の話です。それがまだ役所組織では解決されていない、というのは不思議な話です。
私は公務員というのは、その司司の役割に忠実な人間が多いから、その役割に対する熱い思いが要因で、組織内の摩擦を生じるのだと思っています。現場の職員であれ、管理部門の職員であれ、職員同士は住民福祉の向上という組織の目的を共有しているわけです。また、それが管理の立場であれ、現場の立場であれ、時としてその目的から離れたところから「住民の声」という言葉を使って為される公務員の怠慢は自戒しなければならないものだと考えています。
2010-05-11(Tue)
“サッカー通”キムタク、カズ落選「ビックリ」
2010/05/11 スポニチアネックス
プロスポーツのように、実力主義が明確な世界における代表選考でさえ、人の評価は難しく、見る人によって評価が大きく異なります。ここには、組織における人事評価の難しさに共通したものを感じます。
スポーツの場合、勝つための戦術には、監督が全責任を負いますから、監督が選手を選ぶことに全権を持つことは当然です。サッカーのようなオフサイド以外は特に複雑なルールもないシンプルな団体競技で、監督が戦略を明確に示し、なおかつ選考までの間には予選やJリーグなどでの実践における実績を白日の下につぶさに観察した上でも人の評価は異なります。
それが仕事であれ、スポーツであれ、こと人というのは複雑怪奇なものです。人の言動を、まるで物理学や数学のように、論理や合理で説明できるものではありません。「評価の納得度を高める」ためには考課者研修が重要だ、というようなことをおっしゃるコンサルタントの方々がいらっしゃいます。私は、このような発言を耳にすると、「これは研修の売り込みだな」と思います。
こうしたコンサルの発言について私が言いたいことも、真意を測ることのできない人間らしさに帰することなのですが、結局、こういう話には、人事評価の客観性に、まるで絶対的な指標があるかのような神話を聞かされているような「感じ」がするのです。
サッカーの場合、我々の個々の選手やチーム、戦術などに対する熱い思いが、選手の選考に一喜一憂したり、選考結果の論評をする要因となっているのでしょう。代表選考において、選手の評価基準を作り、その基準に基づき選手を評価して選考する人も監督というただ一人の人間であり、指標を合わせる研修などというものは元より必要ありません。
私もサッカーに人一倍熱い人間として、こうしたサッカー代表選考に常に納得しているわけではありません。
思えば、1994年アメリカ・ワールドカップでは、イングランドは予選落ちしました。イングランドは、ヨーロッパ予選は、オランダ、ノルウェー、ポーランド、トルコ、サンマリノと同じ組で、当然、オランダとともに予選を通過するものと思われていました。しかし、1993年4月、ホーム・ウェンブリーで行われたオランダとの試合では、プラットとバーンズのフリーキックで2点を先制したものの、デニス・ベルカンプの1点から2-1のまま時間は経過します。しかし、試合終了の数分前に、デス・ウォーカーがペナルティエリア内で痛恨のファールを犯し、ペナルティキックで同点とされてしまいました。
少し長くなりました。この時のイングランド監督はグレアム・テイラーというイングランド人です。私は、この監督が、当時、私の大好きな選手クリス・ワドルを代表に選考しなかったことが、まったく理解できません。なぜなら、当時のワドルは、年齢的には30歳を超えていましたが、ベストフォームを維持していたことは、当時のリーグ戦やFAカップでの活躍が証明していました。また、ワドルは国際経験も豊かであり、スパーズからマルセイユへ移籍したときに発生した移籍金も、当時、マラドーナやフリットに次いで、世界で3番目の高額を叩き出したという能力の持ち主です。戦術的にも柔軟で、複数のポジションを高いレベルでこなすことができる希有のプレイヤーでした。もう一言言わせてもらうと、フランコ・バレージをセンターバックとする黄金時代のACミランのフラット4をドリブル突破できたのは、多分このワドルと、後はガスコインだけです。
私は、1994年にはシェフィールド、97年にはバーンリーで、彼の試合を観るために渡英しています。97年の渡英前には、本人の直筆でサインがされた手紙をもらいました。
いずれにせよ、サッカーを愛する熱い人たちは、人を評価することの難しさを理解できる人たちではないか、ということです。
2010/05/11 スポニチアネックス
岡田ジャパン23選手が発表された10日、サッカー好きで知られる「SMAP」の木村拓哉(37)が報道陣に対応し、カズこと三浦知良(43)の代表漏れを嘆いた。「落ちてビックリ。ユニホーム姿のカズさんがいるだけでチームに元気が出たはず。現実的な選抜になった」と感想。一方で「若い人を試してほしかった」と指摘した。
プロスポーツのように、実力主義が明確な世界における代表選考でさえ、人の評価は難しく、見る人によって評価が大きく異なります。ここには、組織における人事評価の難しさに共通したものを感じます。
スポーツの場合、勝つための戦術には、監督が全責任を負いますから、監督が選手を選ぶことに全権を持つことは当然です。サッカーのようなオフサイド以外は特に複雑なルールもないシンプルな団体競技で、監督が戦略を明確に示し、なおかつ選考までの間には予選やJリーグなどでの実践における実績を白日の下につぶさに観察した上でも人の評価は異なります。
それが仕事であれ、スポーツであれ、こと人というのは複雑怪奇なものです。人の言動を、まるで物理学や数学のように、論理や合理で説明できるものではありません。「評価の納得度を高める」ためには考課者研修が重要だ、というようなことをおっしゃるコンサルタントの方々がいらっしゃいます。私は、このような発言を耳にすると、「これは研修の売り込みだな」と思います。
こうしたコンサルの発言について私が言いたいことも、真意を測ることのできない人間らしさに帰することなのですが、結局、こういう話には、人事評価の客観性に、まるで絶対的な指標があるかのような神話を聞かされているような「感じ」がするのです。
サッカーの場合、我々の個々の選手やチーム、戦術などに対する熱い思いが、選手の選考に一喜一憂したり、選考結果の論評をする要因となっているのでしょう。代表選考において、選手の評価基準を作り、その基準に基づき選手を評価して選考する人も監督というただ一人の人間であり、指標を合わせる研修などというものは元より必要ありません。
私もサッカーに人一倍熱い人間として、こうしたサッカー代表選考に常に納得しているわけではありません。
思えば、1994年アメリカ・ワールドカップでは、イングランドは予選落ちしました。イングランドは、ヨーロッパ予選は、オランダ、ノルウェー、ポーランド、トルコ、サンマリノと同じ組で、当然、オランダとともに予選を通過するものと思われていました。しかし、1993年4月、ホーム・ウェンブリーで行われたオランダとの試合では、プラットとバーンズのフリーキックで2点を先制したものの、デニス・ベルカンプの1点から2-1のまま時間は経過します。しかし、試合終了の数分前に、デス・ウォーカーがペナルティエリア内で痛恨のファールを犯し、ペナルティキックで同点とされてしまいました。
少し長くなりました。この時のイングランド監督はグレアム・テイラーというイングランド人です。私は、この監督が、当時、私の大好きな選手クリス・ワドルを代表に選考しなかったことが、まったく理解できません。なぜなら、当時のワドルは、年齢的には30歳を超えていましたが、ベストフォームを維持していたことは、当時のリーグ戦やFAカップでの活躍が証明していました。また、ワドルは国際経験も豊かであり、スパーズからマルセイユへ移籍したときに発生した移籍金も、当時、マラドーナやフリットに次いで、世界で3番目の高額を叩き出したという能力の持ち主です。戦術的にも柔軟で、複数のポジションを高いレベルでこなすことができる希有のプレイヤーでした。もう一言言わせてもらうと、フランコ・バレージをセンターバックとする黄金時代のACミランのフラット4をドリブル突破できたのは、多分このワドルと、後はガスコインだけです。
私は、1994年にはシェフィールド、97年にはバーンリーで、彼の試合を観るために渡英しています。97年の渡英前には、本人の直筆でサインがされた手紙をもらいました。
いずれにせよ、サッカーを愛する熱い人たちは、人を評価することの難しさを理解できる人たちではないか、ということです。
2010-05-10(Mon)

今日、南アフリカで開催される2010 FIFAワールドカップの日本代表選手の発表が行われ、地元のジュビロ磐田からは、川口能活選手と駒野友一選手のお二人が選出されました。
16時からはお二人をお招きして、磐田市役所にて激励会が開催されました。小雨の降る中を、たくさんの市民の皆さんが詰め掛けて激励してくれました。
サッカー・ワールドカップ。この本大会に日本が初めて出場してから何年か経ちますが、こんな素晴らしいことはありません。地元にプロサッカーチームがあり、そして、そのチームから日本を代表する選手が選出され、そして、彼らが世界の檜舞台に立つのですから。おらがまちにはジュビロがある、という素晴らしさを噛み締めた一日でした。
そういえば、我がニューカッスル・ユナイテッドもDivision1から見事1年でFAプレミアリーグに復帰を果たしました。ニューカッスルのホーム「セント・ジェームスパーク」には、私の名前を刻んだブロックが埋め込まれています。詳しく言うと、スタジアムの周りを取り囲むようにある歩道をSt James' Walkと呼びますが、ちょうどミルバーン・スタンドの下を通る部分の歩道の241番の区画に、私のブロックがあります。このブロックができてから、私もまだ見に行ったことがありません。今年の夏には、一人でもいいから渡英して、プレミアリーグに復帰したニューカッスルの試合とこのブロックを見たいものです。
2010-05-07(Fri)

写真は「Plumerian cafe -365photo-」から
「音楽と写真」 by nanami
行政の仕事は、まず法令ありきです。したがって、その解釈と運用をめぐって、公務員は融通の利かない人間になりがちです。その中でも、行政の内部管理に従事する職員は、融通の利かない人間の中でも最も融通の利かない人種かもしれません。自分は、その人種の一人ではないかと自省することしきりで、先般も「自治体職員有志の会」のMLで手に入れた「クレド」を携帯するようにしたところです。
公務員は、自分では理性的に仕事をしていると思っているうちに、大事な感性を失っているのかもしれません。しかし、何事もバランス感覚が重要です。思えば、懇意にして頂いているnanamiさんは写真家でもありますが、ギうタリストの方から次のような非常に困難な依頼を受けたそうです。
音楽を聴いて、受けたイメージで写真を撮ってみて
私は、ミュージシャンや写真家といったアーティストに対する憧れがあります。彼らは非常に創造的な人たちで、その音楽や写真から湧き出てくるような何かを感じるときがあります。そういうものを「無」の状態から創り出すというアーティストを私は尊敬します。写真家でいえばnanamiさんはもちろん、他には故前田真三氏がいます。ミュージシャンで一人名前を挙げると、ギタリストの山本要三氏がいます。Ain Soph「妖精の森」での山本氏のソロは、私が高校生のときに初めて耳にしましたが、いま改めて聴いてみても鳥肌が立ちます。
思えば、調査や統計数値などといった事実に基づき、理詰めで政策を作り説明責任を果たしていく人たちの中にも、「感性」を感じさせる人がいます。眼の付け所というか、眼を付けたものから発想をしていくプロセスに政策企画者としての感性を感じさせます。私は、これを「政策センス」と呼んでいます。
思えば、私も高校・大学時代はギタリストでしたからアーティストでした。
私の作ったこの曲のイメージで、ソロを弾いてみて
と友人に頼まれたものでした。私のソロは、一度たりとも友人の曲に採用されることはありませんでしたので、私に音楽のセンスがないのは諦めています。本業の行政の方でも、まだ私の施策が採用されたことはないのですが、こちらのセンスの欠如についは、退職するまで諦めるつもりはありません。
nanamiさんのこの写真は、そのイメージの元となった音楽を聴いてみたくなる一枚です。