2010-06-08(Tue)
「One Night In Turin [Blu-ray] [2010]」を注文しました。
90年のイタリア・ワールドカップは、私の好きな大会の一つです。一番好きな大会かもしれません。その理由は、この大会におけるイングランドの試合がイングランド・サポーターにとって前評判を裏切る熱い内容のものが多かったからです。
それでは、振り返ってみましょう。
カメルーン戦では、ゲイリー・リネカーのPK狙いのプレイの連発と、ことごとくPKを決めたその勝負強さ。特に、2回目のPKでど真ん中に蹴り込んだリネカーの度胸は、たいしたものです。後日、インタビューでリネカーのこのPKに関して、相手ゴールキーパーがダイブすることを読んでいたと発言しています。確かに、ゴールを決められたキーパーは「やられた!」という感じで頭を抱えています。しかし、キーパーのダイブした方向が逆であったら、脚で止められていた可能性もありました。つまり、ど真ん中、というにはリネカーのキックは甘いコースでした。PKを誘ったリネカーの狡猾なプレイやスルーパス一発でゴール前に通したポール・ガスコインのセンスが光る試合でした。
ベルギー戦は、ベルギーにとって気の毒なものでした。シーフォ個人の才能は際立っており、両チームの中でもベストだったかもしれません。また、チーム全体としてのパフォーマンスもベルギーはイングランドを上回っていたように感じます。しかし、終了間際のデビッド・プラットのボレーがゲームを決めました。このアシストもガスコインでした。そして、このアシストはフリーキックでしたが、このフリーキックを取ったファールもガスコインが誘ったものではなかったかと私は思っています。それは、ファールを取った後のガスコインの相手プレーヤーに対する仕草から推し測ることができます。間違いなくこのセットプレーは練習を重ねたものです。ゴールからは少し離れた位置からの直接フリーキックで、フワリとゴール前に浮かせたガスコインの絶妙なフリーキックは芸術的でした。練習を重ねなければ、思いつきであそこへあのようには蹴れません。プラットは、後日インタビューで「あのゴールを決めたとき、これでイタリアへ移籍できると思った」と言っています。
準決勝は、この大会の優勝国の西ドイツでした。サッカーに「判定」による勝ち負けがあったとしたなら、間違いなくこの試合に勝ったのはイングランドだったでしょう。延長戦が終わっても勝負はつかず、PK戦になります。このPK戦では、スチュアート・ピアースが真ん中に蹴り込んだところ、キーパーはピアースが蹴るなりダイブして、カメルーン戦におけるリネカーの2回目のPK同様に、ゴールが決まるはずでした。しかし、西ドイツにとっては運よく、イングランドにとっては運悪く、ダイブしたキーパーの脚にボールが当たり、普通だったらそれでもゴールするところ、ボールはゴールの外へ弾かれました。それに対して西ドイツは全員がPKを決めてきました。イングランドのキーパー、ピーター・シルトンは、いずれもボールの飛んだ方向にダイブしていますが及びません。こうしてイングランドが不利になった状態で最後のキッカーはクリス・ワドルでした。私が最も好きな選手です。彼がPKを外し、イングランドは西ドイツに敗れるわけです。ピアースは、ユーロ96の準々決勝のスペイン戦のPK戦で、この時の雪辱を晴らしますが、ワドルには二度とチャンスはありませんでした。
私の手元にメル・スタインが書いたクリス・ワドルの伝記「CHRIS WADDLE The Authorised Biography」(Simon & schuster)があります。その序文でワドルは次のようにこのPK戦を回想しています。
89年、ワドルがトットナム・ホットスパーからフランスのマルセイユに移籍した当時、マラドーナとルート・フリットに次ぐ世界三番目の移籍金が生じました。それくらい偉大な選手でしたが、そのキャリアは華々しいものではありませんでした。プロになる前には、コベントリー、サンダーランド、そしてニューカッスルに「背が低い」という理由で入団を断られます。その結果、ソーセージ工場で働きながら、パートタイムでノンリーグでプレイを続けました。その後、ニューカッスルに安い契約で拾われたのは、遅咲きといえる20歳のときでした。
私がワドルを好きな理由は、彼が才能はありながら、長年冷や飯を喰ってきた苦労人だからかもしれません。イングランドでも彼は「労働者階級の英雄」と言われています。マラドーナとフリットは日本でも知らない人はいないのに、ワドルの日本での知名度は低すぎます。
世界最高のディフェンダーといわれたACミランのパウロ・マルディーニは、引退のインタビューの中で、「対戦したくない選手は誰か」という問いに対して、ワドルの名を挙げたと聞いています。
チャンピオンズカップ 1990-91の準々決勝では、ミラン対マルセイユのカードがありました。その日の試合でもミランのディフェンスラインは、芸術的なフラット4でした。そのディフェンスラインの一翼を担う当時22~23歳のマルディーニはワドルに翻弄され、ハイボールに競ったときには、後ろからワドルの後頭部に頭突きを喰らわせ失神させます。しかし、その後、左サイドからのクロスを中央にいたパパンがヘディングで右サイドのワドルにフワリと上げたパスで繋ぎました。ワドルはそのパスを右足のボレーでゴールに叩き込みます。左サイドのクロスからこのボレーに至るまで、ボールは一度も地についていません。まさに「神がかり」なボレーシュートでした。その時ワドルをマークしていたのもマルディーニでした。
なお、私はこの右ボレーを見ても、またWikipediaのクリス・ワドルの紹介に彼の「利き足」が「右足」とされていても、彼の利き足は私と同じ「左足」だと思います。
(参考)
Youtube「Chris WADDLE but contre MILAN AC」(ワドルの右ボレー)
Youtube「Chris Waddle」(ワドルのマルセイユ時代のプレー集)
90年のイタリア・ワールドカップは、私の好きな大会の一つです。一番好きな大会かもしれません。その理由は、この大会におけるイングランドの試合がイングランド・サポーターにとって前評判を裏切る熱い内容のものが多かったからです。
それでは、振り返ってみましょう。
カメルーン戦では、ゲイリー・リネカーのPK狙いのプレイの連発と、ことごとくPKを決めたその勝負強さ。特に、2回目のPKでど真ん中に蹴り込んだリネカーの度胸は、たいしたものです。後日、インタビューでリネカーのこのPKに関して、相手ゴールキーパーがダイブすることを読んでいたと発言しています。確かに、ゴールを決められたキーパーは「やられた!」という感じで頭を抱えています。しかし、キーパーのダイブした方向が逆であったら、脚で止められていた可能性もありました。つまり、ど真ん中、というにはリネカーのキックは甘いコースでした。PKを誘ったリネカーの狡猾なプレイやスルーパス一発でゴール前に通したポール・ガスコインのセンスが光る試合でした。
ベルギー戦は、ベルギーにとって気の毒なものでした。シーフォ個人の才能は際立っており、両チームの中でもベストだったかもしれません。また、チーム全体としてのパフォーマンスもベルギーはイングランドを上回っていたように感じます。しかし、終了間際のデビッド・プラットのボレーがゲームを決めました。このアシストもガスコインでした。そして、このアシストはフリーキックでしたが、このフリーキックを取ったファールもガスコインが誘ったものではなかったかと私は思っています。それは、ファールを取った後のガスコインの相手プレーヤーに対する仕草から推し測ることができます。間違いなくこのセットプレーは練習を重ねたものです。ゴールからは少し離れた位置からの直接フリーキックで、フワリとゴール前に浮かせたガスコインの絶妙なフリーキックは芸術的でした。練習を重ねなければ、思いつきであそこへあのようには蹴れません。プラットは、後日インタビューで「あのゴールを決めたとき、これでイタリアへ移籍できると思った」と言っています。
準決勝は、この大会の優勝国の西ドイツでした。サッカーに「判定」による勝ち負けがあったとしたなら、間違いなくこの試合に勝ったのはイングランドだったでしょう。延長戦が終わっても勝負はつかず、PK戦になります。このPK戦では、スチュアート・ピアースが真ん中に蹴り込んだところ、キーパーはピアースが蹴るなりダイブして、カメルーン戦におけるリネカーの2回目のPK同様に、ゴールが決まるはずでした。しかし、西ドイツにとっては運よく、イングランドにとっては運悪く、ダイブしたキーパーの脚にボールが当たり、普通だったらそれでもゴールするところ、ボールはゴールの外へ弾かれました。それに対して西ドイツは全員がPKを決めてきました。イングランドのキーパー、ピーター・シルトンは、いずれもボールの飛んだ方向にダイブしていますが及びません。こうしてイングランドが不利になった状態で最後のキッカーはクリス・ワドルでした。私が最も好きな選手です。彼がPKを外し、イングランドは西ドイツに敗れるわけです。ピアースは、ユーロ96の準々決勝のスペイン戦のPK戦で、この時の雪辱を晴らしますが、ワドルには二度とチャンスはありませんでした。
私の手元にメル・スタインが書いたクリス・ワドルの伝記「CHRIS WADDLE The Authorised Biography」(Simon & schuster)があります。その序文でワドルは次のようにこのPK戦を回想しています。
I think the real problem was that I hit it too well. I made proper contact, but if I'd mis-hit it, I felt it might have gone in.
私も彼の言うとおりだと思います。89年、ワドルがトットナム・ホットスパーからフランスのマルセイユに移籍した当時、マラドーナとルート・フリットに次ぐ世界三番目の移籍金が生じました。それくらい偉大な選手でしたが、そのキャリアは華々しいものではありませんでした。プロになる前には、コベントリー、サンダーランド、そしてニューカッスルに「背が低い」という理由で入団を断られます。その結果、ソーセージ工場で働きながら、パートタイムでノンリーグでプレイを続けました。その後、ニューカッスルに安い契約で拾われたのは、遅咲きといえる20歳のときでした。
私がワドルを好きな理由は、彼が才能はありながら、長年冷や飯を喰ってきた苦労人だからかもしれません。イングランドでも彼は「労働者階級の英雄」と言われています。マラドーナとフリットは日本でも知らない人はいないのに、ワドルの日本での知名度は低すぎます。
世界最高のディフェンダーといわれたACミランのパウロ・マルディーニは、引退のインタビューの中で、「対戦したくない選手は誰か」という問いに対して、ワドルの名を挙げたと聞いています。
チャンピオンズカップ 1990-91の準々決勝では、ミラン対マルセイユのカードがありました。その日の試合でもミランのディフェンスラインは、芸術的なフラット4でした。そのディフェンスラインの一翼を担う当時22~23歳のマルディーニはワドルに翻弄され、ハイボールに競ったときには、後ろからワドルの後頭部に頭突きを喰らわせ失神させます。しかし、その後、左サイドからのクロスを中央にいたパパンがヘディングで右サイドのワドルにフワリと上げたパスで繋ぎました。ワドルはそのパスを右足のボレーでゴールに叩き込みます。左サイドのクロスからこのボレーに至るまで、ボールは一度も地についていません。まさに「神がかり」なボレーシュートでした。その時ワドルをマークしていたのもマルディーニでした。
なお、私はこの右ボレーを見ても、またWikipediaのクリス・ワドルの紹介に彼の「利き足」が「右足」とされていても、彼の利き足は私と同じ「左足」だと思います。
(参考)
Youtube「Chris WADDLE but contre MILAN AC」(ワドルの右ボレー)
Youtube「Chris Waddle」(ワドルのマルセイユ時代のプレー集)
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