2010-06-29(Tue)
I think I knew in my heart of hearts that once Graham Taylor was appointed England manager I wouldn't be around for long.
(Chris Waddle)
(Chris Waddle)
グレアム・テイラーがイングランド代表監督になったときのことを回想したクリス・ワドルの言葉です。ワドルは、テイラーが監督になったら、最終的には自分を代表に招聘しないことが分かっていました。
イタリア代表監督のリッピもユベントス監督時代、天才肌のロベルト・バッジオを好まず戦力外としました。また、アリゴ・サッキもアメリカ・ワールドカップの時に、大事な試合でバッジオを彼の体力の弱さと守備面での貢献度の低さを理由に途中交代させています。しかし、あのときのイタリアがブラジルとの決勝戦まで進めたのは、ロベルト・バッジオの天才性のお陰でしょう。日本では、岡田監督がカズと北沢を外したのは有名な話です。
自分は戦術という分別をわきまえている合理的な人間だと考えている監督ほど、私は人間味を感じます。それは、本人が「合理」と信じているものが、まったく理性的なものではなく極めて人間臭いものだからです。私は、それを監督の「戦術」という名の「好み」だと考えていますし、「好み」で人を選べるのは、結果に全責任を負う監督の特権だと考えています。監督が「自分の戦術に合わない」選手を外すのは当然のことです。しかし、その戦術とは「理性」や「合理」ではなく本質的に「好み」なのです。
なぜなら、フットボールは芸術なのですから。
勝つときには多少汚くても良いが、負けるときには美しく
(ヨハン・クライフ)
(ヨハン・クライフ)
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