交渉ごとをしていて、思ったこと
2009-05-19(Tue)

写真は「日英行政官日記」から「教会でのコンサート」
by Hideki Takada, ex. HMT
外交官を志した学生時代に行ったところ -
幣原喜重郎の縁の公園で by 曽野田欣也
交渉の辛さは、交渉内容に自分の価値観は関係ない、ということかもしれません。それは、上意下達でいれば責任を取らなくても良い、という気楽さの代償かもしれません。しかし、そもそも他人の意思を違う他人に伝えることは、同じ言語を使う人間同士であっても困難なことであることを自覚すべきです。
私がその立場において上意を下達する際に気をつけているのは、上意の言外の「思い」を下に伝えることです。上の言葉を一字一句間違えずに伝えることも重要ですが、地位が高くなればなるほど、その人の考え方は、抽象的になっていくものです。その抽象的な思いをイメージ通りに伝えられるのは、必ずしも一字一句の正確な言葉とは限らないと思っています。下意を上へ伝える場合も同様です。地位が高い人は、それより下の人たちの具体的な苦労を知ろうとしても、判断を下す際は異なる視点から下します。ですから、上の人と話す場合は、細々と具体的なことを話すより、他に伝える言葉はあると思います。言い換えれば、それが上の人たちに伝えるべき下の人たちの「思い」です。
社会は特定の成果を安定的かつ継続的に供給するため、人に組織で仕事をすることを求め、組織は構成員に個々の役割を与えます。組織では、一人ひとりがその役割を果たすことが重要です。役割の果たし方には巧拙があり、それが組織における個人の評価となります。
さて、組織の中に何かの中間に立って橋渡しをする役割がある場合、中間に立つ者とその上位の者との間には信頼関係がなければいけませんし、また、中間に立つ者と下位の者との間にも同様に信頼関係が必要です。
信無くば立たず。と言います。その信が自分の信でなくても、組織人としては立たねばなりません。中間に立つ者としての信は、その役割に対する信念であり、伝えるべき内容の是非ではありません。私はそう思っています。
立場が違えば、主張が異なることは当然であり、それはお互いに認め合わなければいけません。しかし、上位の者にしろ、下位の者にしろ、伝えるべき内容を時と場合により使い分ける者は、結局は誰からも信頼されなくなるでしょう。信頼されなければ、異なる利害の調整という、困難ではあるが、やりがいのある職責を担うことはできないでしょう。信頼できる人間でなければ、そういう立場は任せられません。
以上のことは、上下関係の場合に限らず、フラットな関係においても、横のつながりであっても人間である限り私は同じだと思います。
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