戦略的思考とは何か
2009-08-18(Tue)
私は、これからの組織には、若手職員の幹部養成が重要であると考えています。
組織論を読んでいると、組織構成員の2割は優秀で、6割が平凡、そして残りの2割は標準以下の能力だということが、よく言われています。これは、パレートの法則などと呼ばれていますが、要は職員の質は一定ではない、ということです。見方を変えれば、職員は十人十色であり、それぞれの適性や弱み強みがあり、給料を払う限りにおいて、能力がないとか決め付けて浪費すべき資源は一人としていないという意味です。
十人十色の組織構成員の適材適所を進めることが、組織力の最大化につながります。難しいのは、行政を取り巻く社会的経済的環境は、生き物であり、絶えず変化しており、我々はそれに対応した市民サービスを提供しなければならないことと、そのための組織構成員の適材適所も生き物であり、これも絶えず変化する、ということです。また、人事が難しいのは、扱う構成員そのものも生き物であるということです。
組織が部門という担当を分け専門化し、そこにライン管理職の課長や部長がいる限り、そこで働く職員を生かすも殺すも課長しだい、部長しだいです。人事課しだいではありません。市役所が組織として、総務や民生、建設、衛生等といった部門に分けられ、それぞれの部門で行政サービスを提供する上で最も重要なのは、そこの職員であり、職員が最大の力を発揮できるかどうかは、幹部職員の力量に因るところ大です。質の高い管理のできる幹部は、日々、職員のモチベーションを高めつつ、仕事を通じて達成感や充実感を与えることができます。そうした成功体験を通じて、職員を育成し、能力開発することができます。
何よりも私の経験として、有能な上司の下で働くことは嬉しい出会いであり、また職業人としての喜びでもありました。しかし、本人の資質と努力に拠るところも大きいでしょうが、そうした優秀な幹部の養成は、組織としても研修コストをかけ、配置を含めた長期的な計画に基づき、責任を持って行うことが必要です。放っておいても、2割の人は優秀な幹部になる、ということは絶対にありえません。
人事課の課題として、定員削減があります。そして、団塊世代の退職とそれに伴う知識の継承があります。公務員の定年延長が人事院により提言されたのも今後の課題です。
以上の諸条件により、一般的に市役所という組織は、年齢構成が逆ピラミッド型になっています。これが当面は元の形に戻りそうもありません。また、団塊世代の退職後、ポストが空いて、これまで昇格が遅れ、管理業務を十分に経験していない若手職員がどんどんと管理職に登用されていく、という見方があります。この見方は卓見で、まず間違いなく現実となるでしょう。
こうした状況は、組織にとって危機ではないか、というのが私の認識です。
なぜなら、新聞l記事にもあるように、最近の若手職員は、昇進昇格にはあまり関心がありません。名古屋市や横浜市では、昇進試験の受験者数が減少の一途をたどっているといいます。それでも、いつかはポストが空いて来ますから、幹部候補として準備万端ではなかった者を昇格させなければならないときがあるかもしれません。一人の職員が管理できる部下の数や業務の幅も有限ですから、優秀な職員に複数の管理の職を兼務させるのにも限界があります。また、近い将来、幹部になることを見越して、今から自己研鑽に励むものばかりではありません。性善説で考えたいものですが、逆に怠ける職員もいるかもしれません。人事課の役割の一つとして、そうしたリスクを最小限にすることが挙げられます。なぜなら、このような状況が招く結果は、まさしくこれまでの「年功序列人事」と何ら変わるものではないからです。団塊世代の退職後、近い将来に迎えるであろう状況を、このように予見するのは、あまりにも悲観的、あるいは合理的過ぎるでしょうか。
「失敗の本質 - 日本軍の組織論的研究」という本があります。これは、大東亜戦争における日本軍の失敗から教訓を導き、今日の組織経営に役立てよう、と企画された研究です。この本の書評の一つから引用させて頂くと、野中郁次郎氏は、「私と経営学 - 書籍『失敗の本質』」の中で、組織論の立場から我々が日本軍の失敗から学ぶこととして、次のように述べられています。
組織の持続的な成長のためには、組織運営を戦略的に考える必要があります。市役所という組織の運営は、地域経営の重要な一部ではないでしょうか。
(参考)
戸部他 「失敗の本質 - 日本軍の組織論的研究」(中公文庫)
野中郁次郎、「私と経営学 - 書籍『失敗の本質』」(Keizai Report.com)
組織論を読んでいると、組織構成員の2割は優秀で、6割が平凡、そして残りの2割は標準以下の能力だということが、よく言われています。これは、パレートの法則などと呼ばれていますが、要は職員の質は一定ではない、ということです。見方を変えれば、職員は十人十色であり、それぞれの適性や弱み強みがあり、給料を払う限りにおいて、能力がないとか決め付けて浪費すべき資源は一人としていないという意味です。
十人十色の組織構成員の適材適所を進めることが、組織力の最大化につながります。難しいのは、行政を取り巻く社会的経済的環境は、生き物であり、絶えず変化しており、我々はそれに対応した市民サービスを提供しなければならないことと、そのための組織構成員の適材適所も生き物であり、これも絶えず変化する、ということです。また、人事が難しいのは、扱う構成員そのものも生き物であるということです。
組織が部門という担当を分け専門化し、そこにライン管理職の課長や部長がいる限り、そこで働く職員を生かすも殺すも課長しだい、部長しだいです。人事課しだいではありません。市役所が組織として、総務や民生、建設、衛生等といった部門に分けられ、それぞれの部門で行政サービスを提供する上で最も重要なのは、そこの職員であり、職員が最大の力を発揮できるかどうかは、幹部職員の力量に因るところ大です。質の高い管理のできる幹部は、日々、職員のモチベーションを高めつつ、仕事を通じて達成感や充実感を与えることができます。そうした成功体験を通じて、職員を育成し、能力開発することができます。
何よりも私の経験として、有能な上司の下で働くことは嬉しい出会いであり、また職業人としての喜びでもありました。しかし、本人の資質と努力に拠るところも大きいでしょうが、そうした優秀な幹部の養成は、組織としても研修コストをかけ、配置を含めた長期的な計画に基づき、責任を持って行うことが必要です。放っておいても、2割の人は優秀な幹部になる、ということは絶対にありえません。
人事課の課題として、定員削減があります。そして、団塊世代の退職とそれに伴う知識の継承があります。公務員の定年延長が人事院により提言されたのも今後の課題です。
以上の諸条件により、一般的に市役所という組織は、年齢構成が逆ピラミッド型になっています。これが当面は元の形に戻りそうもありません。また、団塊世代の退職後、ポストが空いて、これまで昇格が遅れ、管理業務を十分に経験していない若手職員がどんどんと管理職に登用されていく、という見方があります。この見方は卓見で、まず間違いなく現実となるでしょう。
こうした状況は、組織にとって危機ではないか、というのが私の認識です。
なぜなら、新聞l記事にもあるように、最近の若手職員は、昇進昇格にはあまり関心がありません。名古屋市や横浜市では、昇進試験の受験者数が減少の一途をたどっているといいます。それでも、いつかはポストが空いて来ますから、幹部候補として準備万端ではなかった者を昇格させなければならないときがあるかもしれません。一人の職員が管理できる部下の数や業務の幅も有限ですから、優秀な職員に複数の管理の職を兼務させるのにも限界があります。また、近い将来、幹部になることを見越して、今から自己研鑽に励むものばかりではありません。性善説で考えたいものですが、逆に怠ける職員もいるかもしれません。人事課の役割の一つとして、そうしたリスクを最小限にすることが挙げられます。なぜなら、このような状況が招く結果は、まさしくこれまでの「年功序列人事」と何ら変わるものではないからです。団塊世代の退職後、近い将来に迎えるであろう状況を、このように予見するのは、あまりにも悲観的、あるいは合理的過ぎるでしょうか。
「失敗の本質 - 日本軍の組織論的研究」という本があります。これは、大東亜戦争における日本軍の失敗から教訓を導き、今日の組織経営に役立てよう、と企画された研究です。この本の書評の一つから引用させて頂くと、野中郁次郎氏は、「私と経営学 - 書籍『失敗の本質』」の中で、組織論の立場から我々が日本軍の失敗から学ぶこととして、次のように述べられています。
「(戦争には、)人間的な感情を含めた情緒主義と合理主義の両面が必要である。合理主義的側面がなければ、どこかで破綻してしまい、持続することができないからだ」(中略)「企業にも同じことが言える」
組織の持続的な成長のためには、組織運営を戦略的に考える必要があります。市役所という組織の運営は、地域経営の重要な一部ではないでしょうか。
(参考)
戸部他 「失敗の本質 - 日本軍の組織論的研究」(中公文庫)
野中郁次郎、「私と経営学 - 書籍『失敗の本質』」(Keizai Report.com)
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