人事と判断 2
2009-12-28(Mon)
以前、「人事と判断」のエントリーで、人事評価をするに当たって具体的な例を挙げて考えてみましたが、好評だったので、また他の例を考えてみました。
登場人物は、A部長とC課の評価の低いB係長とします。
A部長の論点は、以上5点です。
人事評価は、社会学でいうところの「ラベリング理論」のような見方をする側面があります。つまり、人事評価をする上で、ある事実や行動の意味は、感情や意識の中で作られたものであってはならず、人事課は個々の主観的なモノの見方に対して、組織としての客観性を与えうという努力をします。そのため、人事課はA部長を管理者として信じているわけですが、その内容について検証を行うことになります。
具体的には、1については、そのメールの内容が、B係長が係長として所管課長に相談や連絡もなく配信しても良いものであったかどうかの検証を行います。また、配信された職員の範囲も参考にします。
2については、メールで配信した文章の表現が適切であったかどうかを検証します。そのためには、メールの文章自体を提出してもらうことになります。また、メール配信による影響として、メールを受け取った職員らが、メールの内容をどのように捉えたかを参考までに調べ、その善後策を検討します。
3については、「事象の問題化」です。つまり、何事も誰かが「問題化」させなければ無事に済むものです。1と2の結果から判断して、それが「問題」であったかどうかの評価も人により異なります。また、当該事象が問題だとしても、どれくらい大きな問題なのかという、問題の程度も判断しなければいけません。
4については、1から3までを踏まえたA部長の総合的な判断です。
5については、3や4の判断に対するA部長の付加的な説明です。
今回の場合は、少なくとも1と2についてB係長本人からも聞き取りを行い、事実関係の確認をします。なお、必ずしも職員本人からは聞き取りができる場合ばかりとは限りません。
一つの事象に対して、プラスであれマイナスであれ、評価の対象とされる事象があれば、必ずこうした検証を行います。そして、なぜなら、大抵の場合、管理職による問題化とその評価には、管理者のハロー効果によるエラーが含まれることが多くあるからです。一つの事象に対して「異動などの人事上の措置」を必要とするような行為は、通常業務では滅多にありません。よくある例としては、B係長がこうしたミスを、上司の注意や指導にも関わらず、繰り返し犯しているような場合です。このような場合には、管理者も「もう我慢ならん」ということで、大きな問題として人事に話を持って行きたくなるという心情はよく分かります。
A部長は「こんなことばかり何度も繰り返す」と言います。「こんなこと」とはどんなことか、具体的な説明を求めます。そして「何度も繰り返す」とは、いつ何回繰り返したのかを説明してもらいます。説明する側は、自分自身が判断材料にしたこれまでの指導内容と指導後の業務の記録をしておかなければいけません。この記録も検証の対象です。ここではA部長の管理能力が問われます。
登場人物は、A部長とC課の評価の低いB係長とします。
(事例)
A部長は、所管のC課にいる「B係長はデキが酷い」と言って人事課に報告に来ました。人事課でA部長の言うことを詳しく聞いてみると、次のようなことでした。
A部長は、所管のC課にいる「B係長はデキが酷い」と言って人事課に報告に来ました。人事課でA部長の言うことを詳しく聞いてみると、次のようなことでした。
1 「B係長は、所管課長であるC課長に相談や連絡もなく、重要な内容のメールを職員宛に配信した」
2 「B係長は、そのメールの内容が重要なものにも関わらず、係長として配慮に欠ける表現があった」
3 「B係長がこのようなメールを配信したことは問題である」
4 「B係長に対して、異動などの人事上の措置を望む」
5 「B係長は、こんなことばかり何度も繰り返す」
2 「B係長は、そのメールの内容が重要なものにも関わらず、係長として配慮に欠ける表現があった」
3 「B係長がこのようなメールを配信したことは問題である」
4 「B係長に対して、異動などの人事上の措置を望む」
5 「B係長は、こんなことばかり何度も繰り返す」
A部長の論点は、以上5点です。
人事評価は、社会学でいうところの「ラベリング理論」のような見方をする側面があります。つまり、人事評価をする上で、ある事実や行動の意味は、感情や意識の中で作られたものであってはならず、人事課は個々の主観的なモノの見方に対して、組織としての客観性を与えうという努力をします。そのため、人事課はA部長を管理者として信じているわけですが、その内容について検証を行うことになります。
具体的には、1については、そのメールの内容が、B係長が係長として所管課長に相談や連絡もなく配信しても良いものであったかどうかの検証を行います。また、配信された職員の範囲も参考にします。
2については、メールで配信した文章の表現が適切であったかどうかを検証します。そのためには、メールの文章自体を提出してもらうことになります。また、メール配信による影響として、メールを受け取った職員らが、メールの内容をどのように捉えたかを参考までに調べ、その善後策を検討します。
3については、「事象の問題化」です。つまり、何事も誰かが「問題化」させなければ無事に済むものです。1と2の結果から判断して、それが「問題」であったかどうかの評価も人により異なります。また、当該事象が問題だとしても、どれくらい大きな問題なのかという、問題の程度も判断しなければいけません。
4については、1から3までを踏まえたA部長の総合的な判断です。
5については、3や4の判断に対するA部長の付加的な説明です。
今回の場合は、少なくとも1と2についてB係長本人からも聞き取りを行い、事実関係の確認をします。なお、必ずしも職員本人からは聞き取りができる場合ばかりとは限りません。
一つの事象に対して、プラスであれマイナスであれ、評価の対象とされる事象があれば、必ずこうした検証を行います。そして、なぜなら、大抵の場合、管理職による問題化とその評価には、管理者のハロー効果によるエラーが含まれることが多くあるからです。一つの事象に対して「異動などの人事上の措置」を必要とするような行為は、通常業務では滅多にありません。よくある例としては、B係長がこうしたミスを、上司の注意や指導にも関わらず、繰り返し犯しているような場合です。このような場合には、管理者も「もう我慢ならん」ということで、大きな問題として人事に話を持って行きたくなるという心情はよく分かります。
A部長は「こんなことばかり何度も繰り返す」と言います。「こんなこと」とはどんなことか、具体的な説明を求めます。そして「何度も繰り返す」とは、いつ何回繰り返したのかを説明してもらいます。説明する側は、自分自身が判断材料にしたこれまでの指導内容と指導後の業務の記録をしておかなければいけません。この記録も検証の対象です。ここではA部長の管理能力が問われます。
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