部分と全体
2010-05-12(Wed)
消防大学校長の岡本全勝氏が、ハイゼンベルクの『部分と全体』を読まれて次のように述べられています。
部分と全体の問題は、私も以前「庁内分権と組織設計」と「その2」で考えたことがありました。その中で私は、次のように考えました。
私は公務員というのは、その司司の役割に忠実な人間が多いから、その役割に対する熱い思いが要因で、組織内の摩擦を生じるのだと思っています。現場の職員であれ、管理部門の職員であれ、職員同士は住民福祉の向上という組織の目的を共有しているわけです。また、それが管理の立場であれ、現場の立場であれ、時としてその目的から離れたところから「住民の声」という言葉を使って為される公務員の怠慢は自戒しなければならないものだと考えています。
私の関心にあっては、部分と全体は、国家統治機構の部分と全体であり、行政組織の部分と全体の在り方です。国と地方の関係にあっては中央集権と地方分権であり、組織管理にあっては集中と分散です。このテーマは、私にとって一生の課題ですが、すべての組織にとって永遠の課題でしょう。(2010年5月9日)
組織論において、全体と部分は、管理と自由、統制と競争、規律と闘争、秩序と混乱、維持と発展、という対比につながります。(2010年5月10日)
(引用:「岡本全勝のページ」から)(抄)
組織論において、全体と部分は、管理と自由、統制と競争、規律と闘争、秩序と混乱、維持と発展、という対比につながります。(2010年5月10日)
(引用:「岡本全勝のページ」から)(抄)
部分と全体の問題は、私も以前「庁内分権と組織設計」と「その2」で考えたことがありました。その中で私は、次のように考えました。
このような関係は古くは、フレデリック・テイラーの科学的管理法が招いた弊害だとして批判がされました。テイラーの理論は20世紀初頭の話です。それがまだ役所組織では解決されていない、というのは不思議な話です。
私は公務員というのは、その司司の役割に忠実な人間が多いから、その役割に対する熱い思いが要因で、組織内の摩擦を生じるのだと思っています。現場の職員であれ、管理部門の職員であれ、職員同士は住民福祉の向上という組織の目的を共有しているわけです。また、それが管理の立場であれ、現場の立場であれ、時としてその目的から離れたところから「住民の声」という言葉を使って為される公務員の怠慢は自戒しなければならないものだと考えています。
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