私とイギリス
2010-11-08(Mon)
イギリスを初めて訪れたのは1989年9月だった。私にとっても初めての海外旅行だった。
当時は、まだ私も独身。イギリスに着くと、中世にタイムトラベルしたような町並みがとても魅力的だった。
この時の渡英ではScotlandのGlasgowにいた学生時代のペンパルの家にお世話になった。
帰りの途中、ダラムの家に泊まった。
それから2年後の1991年10月に渡英した時は、妻の地元の教会で結婚式を挙げた。
披露宴では英語でスピーチをしなければならず緊張した。
1993年12月には、その年に生まれた長女を連れて渡英した。
12月のイギリスは骨まで凍みるような寒さで、これだけ寒い気候も初めて経験した。
「もう2度と冬のイギリスへは行かない!」と誓ったものだった。
1994年12月の渡英時には、NewcastleのSt. James Parkへ初めて行き、またChris Waddleを見るため、「ヒルズボロの悲劇」の舞台となったSheffieldへ行った。
ツートーンのアンブロのコートを手に入れたのは、この年か93年だったと思う。
1997年12月の渡英時には、この年に生まれた次女を連れて行った。
当時ロンドン大学の医学部大学院で研究をしていた友人とロンドンのピカデリーで逢い、彼のフラットに泊まらせてもらった。
ダラムの家では、日本からダラム大学大学院に留学していた知人らを交えてクリスマスパーティーをした。
この年の渡英では、英語が通じないことに悔しさを覚え、その後4年間、英語の勉強をしたものだった。
この年は、またChris Waddleを観るため、Player & Managerとして彼が移籍したBunrlyまでRogerとBenと一緒に車で行った。
2001年の夏には、結婚10周年で渡英した。
97年から英語の勉強をしていたが、この年受けてみたTOEICは、920点だった。
この頃からイギリスが遠い外国には感じられなくなって来ていた。
2003年8月には、イギリスがさらに近い存在になっていた。
子供もでき、その子供も大きくなり家族の生活も変わってきた。
時の流れと無常観を感じたものである。
日本の家を出てJRに乗り、空港から飛行機に乗りイギリスに着き、そして電車に乗り、地下鉄に乗り、バスに乗り、バス停から歩いてダラムの家に着く。
コレは自分にとって日常に感じられるようになっていた。
2006年8月には、上の子も中学生になり、夏休みは学校の友達と過ごしたいから、渡英するのはイヤだと言うようになった。
私もここ数年の激務のため慢性的に疲労感があり、日本では週末に休める日には一日中寝ている有様だった。
しかし、イギリスへ来ると朝から晩まで町を歩き回るほど元気で、疲れを感じなかったのが不思議だった。
2009年8月。
この年は、妻と子どもたちだけでイギリスへ行った。
私は、衆議院議員選挙があり、夏休みを取ることができなかった。
2010年8月。家族4人でイギリスへ行った。
私にとっては、起死回生の渡英であったが、セントレアへ行く途中、腹部に激痛が走り、体調不良で飛行機に乗るのはムリだと思ったくらいだった。
そんなアクシデントに見舞われた渡英であった。
私だけは、実質3日の強行軍での渡英である。
土曜日に日本を出て、同日夜にイギリスに着きヒースロー近くのホテルに泊まった。
翌日曜日は、家族でロンドンバスツアーをしてロンドンに一泊。
月曜日、家族は義理の母のいるダーリントンへ。
そして、私は一人ロンドンに残り、月曜日と火曜日の二日間でロンドンを歩いて回った。
ロンドンの地下鉄は初乗り4ポンド(600円)くらいもしてとても高い。
地下鉄の終日チケットを買うことも考えたが、天気も良かったのでロンドンを歩くことにした。
アビーロードへ行った。ビートルズのジャケット写真に使われたかの有名な横断歩道のところだ。
ビートルズの4人が歩いた横断歩道を、彼らを真似て歩く観光客が後を絶たない。
中学のときには、ビートルズのアルバム写真のこの場所へ自分が来れるとは思いもしなかった。
ハイドパークで昼寝。これは贅沢な休暇の過ごし方だと思った。
パディントンからインペリアルカレッジへ。
ロイヤル・アルバートホールを見たのは97年以来。
ソーホー、大英博物館、バッキンガム宮殿。セント・ジェームズパーク。英国財務省と外務省、それに隣接するCabinet War Room、チェルシーの街並みなどすべて歩いて回った。
英国財務省と外務省、それに隣接するCabinet War Roomは、私の初めての渡英時に、そして97年にも立ち寄ったところだ。
私のロンドンでの休日はこうして終わり、火曜日の夕方にはヒースロー近くのホテルに移動して宿泊。
翌日水曜、フィンランド経由で帰国の途に着いた。
今回は、ニューカッスルのスタジアムに埋めた自分の名前を刻んだブロックを見に行くことができなくて残念だった。
これだけ渡英歴がありながら、ロンドンで長い時間を過ごしたのは今回が初めてだった。
ロンドンも良かったが、やはり私はイギリスの田舎町が好きだ。
次回は、知らない田舎町へ行き、そこでできる限りの時間を何もせずに過ごしたい。
私は、イギリスが好きだ。あの街並み、緑に続く平地と牧歌的な風景。
人間もなぜかのんびりしているように感じられる。
さて、次回はいつイギリスへ行けるだろうか。
次回は、他の外国かもしれないが、きっと一人でもっともっとのんびりとするために行くだろう。
当時は、まだ私も独身。イギリスに着くと、中世にタイムトラベルしたような町並みがとても魅力的だった。
この時の渡英ではScotlandのGlasgowにいた学生時代のペンパルの家にお世話になった。
帰りの途中、ダラムの家に泊まった。
それから2年後の1991年10月に渡英した時は、妻の地元の教会で結婚式を挙げた。
披露宴では英語でスピーチをしなければならず緊張した。
1993年12月には、その年に生まれた長女を連れて渡英した。
12月のイギリスは骨まで凍みるような寒さで、これだけ寒い気候も初めて経験した。
「もう2度と冬のイギリスへは行かない!」と誓ったものだった。
1994年12月の渡英時には、NewcastleのSt. James Parkへ初めて行き、またChris Waddleを見るため、「ヒルズボロの悲劇」の舞台となったSheffieldへ行った。
ツートーンのアンブロのコートを手に入れたのは、この年か93年だったと思う。
1997年12月の渡英時には、この年に生まれた次女を連れて行った。
当時ロンドン大学の医学部大学院で研究をしていた友人とロンドンのピカデリーで逢い、彼のフラットに泊まらせてもらった。
ダラムの家では、日本からダラム大学大学院に留学していた知人らを交えてクリスマスパーティーをした。
この年の渡英では、英語が通じないことに悔しさを覚え、その後4年間、英語の勉強をしたものだった。
この年は、またChris Waddleを観るため、Player & Managerとして彼が移籍したBunrlyまでRogerとBenと一緒に車で行った。
2001年の夏には、結婚10周年で渡英した。
97年から英語の勉強をしていたが、この年受けてみたTOEICは、920点だった。
この頃からイギリスが遠い外国には感じられなくなって来ていた。
2003年8月には、イギリスがさらに近い存在になっていた。
子供もでき、その子供も大きくなり家族の生活も変わってきた。
時の流れと無常観を感じたものである。
日本の家を出てJRに乗り、空港から飛行機に乗りイギリスに着き、そして電車に乗り、地下鉄に乗り、バスに乗り、バス停から歩いてダラムの家に着く。
コレは自分にとって日常に感じられるようになっていた。
2006年8月には、上の子も中学生になり、夏休みは学校の友達と過ごしたいから、渡英するのはイヤだと言うようになった。
私もここ数年の激務のため慢性的に疲労感があり、日本では週末に休める日には一日中寝ている有様だった。
しかし、イギリスへ来ると朝から晩まで町を歩き回るほど元気で、疲れを感じなかったのが不思議だった。
2009年8月。
この年は、妻と子どもたちだけでイギリスへ行った。
私は、衆議院議員選挙があり、夏休みを取ることができなかった。
2010年8月。家族4人でイギリスへ行った。
私にとっては、起死回生の渡英であったが、セントレアへ行く途中、腹部に激痛が走り、体調不良で飛行機に乗るのはムリだと思ったくらいだった。
そんなアクシデントに見舞われた渡英であった。
私だけは、実質3日の強行軍での渡英である。
土曜日に日本を出て、同日夜にイギリスに着きヒースロー近くのホテルに泊まった。
翌日曜日は、家族でロンドンバスツアーをしてロンドンに一泊。
月曜日、家族は義理の母のいるダーリントンへ。
そして、私は一人ロンドンに残り、月曜日と火曜日の二日間でロンドンを歩いて回った。
ロンドンの地下鉄は初乗り4ポンド(600円)くらいもしてとても高い。
地下鉄の終日チケットを買うことも考えたが、天気も良かったのでロンドンを歩くことにした。
アビーロードへ行った。ビートルズのジャケット写真に使われたかの有名な横断歩道のところだ。
ビートルズの4人が歩いた横断歩道を、彼らを真似て歩く観光客が後を絶たない。
中学のときには、ビートルズのアルバム写真のこの場所へ自分が来れるとは思いもしなかった。
ハイドパークで昼寝。これは贅沢な休暇の過ごし方だと思った。
パディントンからインペリアルカレッジへ。
ロイヤル・アルバートホールを見たのは97年以来。
ソーホー、大英博物館、バッキンガム宮殿。セント・ジェームズパーク。英国財務省と外務省、それに隣接するCabinet War Room、チェルシーの街並みなどすべて歩いて回った。
英国財務省と外務省、それに隣接するCabinet War Roomは、私の初めての渡英時に、そして97年にも立ち寄ったところだ。
私のロンドンでの休日はこうして終わり、火曜日の夕方にはヒースロー近くのホテルに移動して宿泊。
翌日水曜、フィンランド経由で帰国の途に着いた。
今回は、ニューカッスルのスタジアムに埋めた自分の名前を刻んだブロックを見に行くことができなくて残念だった。
これだけ渡英歴がありながら、ロンドンで長い時間を過ごしたのは今回が初めてだった。
ロンドンも良かったが、やはり私はイギリスの田舎町が好きだ。
次回は、知らない田舎町へ行き、そこでできる限りの時間を何もせずに過ごしたい。
私は、イギリスが好きだ。あの街並み、緑に続く平地と牧歌的な風景。
人間もなぜかのんびりしているように感じられる。
さて、次回はいつイギリスへ行けるだろうか。
次回は、他の外国かもしれないが、きっと一人でもっともっとのんびりとするために行くだろう。
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